三 峰 山

(記・白子 八千代

平成7年2月26日(天候 晴→雨 (雪))

CL飯塚  SL有北  井本
 大畑  白子  白子  小山  上田   橋本  計9名


 飯塚さん、 有北さん、 上田さん、 白子、 私の5人は、 朝の6時すぎにJR和歌山駅を出発し、 途中で橋本宅に寄って新妻を連れ出して、 先月ハイキングに行った高見山登山口に向かった。 そこで、 のんべえ3人 (井本さん、 大畑さん、 小山君) と合流して、 三峰山登山口に着いたのが9時半。

 10時、 地図の通りつづらおりになった植林帯を登り始めた。 1時間近く、 変化のない暗い道を登って、 いいかげんあきあきしたころ、 突然明るくなった。
植林帯が終わり、 胸くらいの高さの低木の小道になって、 南に展望が開けたのである。
快晴の中、 正面の大台が原やそのひとつ向こうの冠雪の大峰山脈を眺めた。
生石の笠石を東西に引きのばして、 すすきのかわりに笹を植えたような高原状の稜線を見た時、 はるばる三重までやってきた甲斐があったなあと思った。 こんないい山を教えてくれた飯塚さんに感謝。

 11時すぎにその稜線に出ると、 北や西の景色も見えた。 東は頂上である。
 10分くらいで頂上に着いたが、 木がたくさんはえていて、 北側の景色だけが見えた。 4つのコブのような山頂をもつ倶留尊山などが見えていた。
 西から登ってきていたので、 今度は北側の斜面を下りると、 その道には雪が残っていてやっと雪山ハイクの雰囲気になった。 それまでは春の散歩みたいだったのである。
 山肌は裸木達が白から肌色、 うすい茶色へとぼかしたようなグラデュエーションになっている中に、 何の木か常緑樹がポツンポツンと点在しているのがちょうどアクセントになっていてきれいだった。 その山腹を巻くとまたもとの八丁平高原にもどった。

  12時頃、 小山君が、 お昼ごはんを食べる場所として風の当たらない低木の中のスペースを見つけてくれたのだが、 せっかくのいい天気だから展望のきくところで食べたい、 と私が文句を言ってもとの高原へもどった。
5分後に大後悔をした。 豚汁を作り始めたとたんに暗雲垂れこめ、 風が吹きはじめたのである……。
わがままを言った罰だろうか。
それにしても、 少しの猶予もなく突然天気が崩れるなんてあんまりだ。
まあ、 晴れたり曇ったりするのだろうと思って、 そのまま座り続けていたら、 こともあろうに吹雪いてきたのだ。 そうだ、 冬山に来ていたんだった……。
ピークが 1,295mの冬山の稜線上で昼食を食べようとしていることにやっと気がついた。
寒さと風の中で豚汁を作るのには時間がかかるため風の届かない南斜面に少し下り、笹の中でひばりみたいにしゃがみこんで待っていた。

 一応、 飯塚さんと白子と私はそれぞれツェルトを持ってきていたので、 3つのうち1つだけ張ってみた。
私と白子は過去につらい思いをしている (あえてどの山行かはいいません) ので、 ビバークの練習のつもりであった。
むかしむかし、 越後屋白子がお金に困っていた友達の足もとをみて、 安く買い叩いたというソレは、 その友達の無念の思いが凍りついているのだろうか、 バリバリとうるさかった……が暖かかった。

 さて、 豚汁を食べて人心地ついたが、 昨夜のすき焼きの材料の残りをぶちこんでの第2回戦を作っている間に、 天気はますます悪くなってきて、 雪のつぶてが北斜面から私達のいる稜線を乗り越えて南斜面へ飛んでいく。
さっきまで大勢いたハイカー達は影も形もなく (当たり前だ)、 風雪の中に残されたのはうらやましそうに通りすぎていくハイカー達にみせびらかすように豚汁を作っていた私達だけだった……。
食べ終わったらさっさと下りた。

 1時半に下り始めて2時10分ごろ登山口についたが、 有北さん、 大畑さん、 白子の3人がいなかった。
例によって、 じぐざぐの単調な道を嫌い植林のなかを車めがけて直線で下りたらしい。 猪のような連中だ。 それでも私達の方が早かったのだ。 正義は勝つのだ。

 雨の中、 香肌温泉の国民宿舎へ行ったら1月末で閉館されていてがっかり……。 しかし、 近くのホテルで すごくきれいな温泉に入ることができた (700円)。
 上田君が、 阪神大震災で被災した友達を励ます会に出席するため大阪へ行きたいという (感心感心) ので、 上市駅へ送ってあげた。
 最後に、 郁美ちゃんのご主人も夕食にお誘いしたら、 畑の中にポツンと建っているおしゃれなピザハウスに案内してくれた。

 小さな幸運と不運が交錯して、 おもしろい一日だった。