北鎌尾根の思い出

(記・白子 八千代

 千天出合の橋は大雨で落ちてしまっていたので、 徒渉しなければならなかった。 しびれるほど冷たい水の中をグラグラ揺れながらギリギリで渡り終わった直後に、 後ろの女性が、流れの中に倒れた。 とっさに彼女のザックをつかんだ男の人の体が岩にひっかかったので結局2〜3m流されただけですんだが……。 あとでその男の人が 「震災で生き残ったのに、 こんな所で死んだらあかんわなあ?」 と笑いながら話しかけてきた。なんと言ったらいいのかわからず笑顔だけ返した。

 七倉の登山案内所の人が、 「夏ルートは水俣・天上沢の方が北鎌尾根上よりずっと事故が多い」 と言っていたが、 本当に危険で、 しかも滝登りも何もできないおもしろくない沢だった。 今後夏に北鎌尾根を登る人は、 大天井を越えて貧乏沢を下るルートを選んだ方がいいのではないかと思う。 そちらから来たある単独行の人の話では、 道はわかりやすいということだった。(ただし、 1日多く必要)

 北鎌尾根で出会った6つのパーティーの中に、 男性3人のとても速いパーティーがあった。 北鎌には積雪期も含めて何回も来ているそうだが、 山腹を大きく下っては登り返すことを繰り返した私たちとは違い、 やせた稜線上をザイルを何度も出しながらがんがん登っていってしまった。 北鎌を登る要領というものか……?

 あとで、 そのリーダーの人は50歳をとうに過ぎていると聞いてびっくりした。 どんなトレーニングをしているのかと聞いたら、 「なんにも・・・。 継続は力なり・・・かなあ。」 と涼しい顔をして、 コンデンスミルクのチューブをなめていた。 これからはコンデンスミルクだ。 喉につかえるおにぎりを見つめながら思った。 ・・・そういう問題じゃない?

 穂高山荘にある岐阜医大診療所の医学生が、 せっせと雪渓の雪を運んでいた。 傷病人でも出たのかと思ったが、 それにしては楽しそうにやっている。 さてはと思って 「ビールを冷やすの?」 と聞くと、 一瞬ドキッとしたみたいだが、 「そうです。 医療に関係なくてどうもすみません。」 と恥ずかしそうに笑った。いいのよいいのよ、 と下戸のくせになぜか飲んべえにはやさしい私達であった。

 最初の2晩は正規のテント場でなく、 しかも2〜3パーティしかいないので静かだった。 そのためか最後の夜の奥穂のにぎやかさをうるさく感じた。 とても明るい月夜だったので、 星空はかなりぼやけていたが、 それでもペルセウス座流星群の流れ星に何度も大歓声が上がる。 流れ星が流れる間、 「金金金(カネカネカネ)!」 と3回唱える人もいた……あのなあ……わかるけどね。

 静かになったと思ったら、 今度は隣のテントの人が、 「銀河をどら焼きにたとえるとォ、 あんこがァ、 はしっこにィ、 ……」 と、 寝ているヤツもオレの話を聞け、 とばかりに大声で長々と講釈を・・・。次の日、出発する時に、 白子がまだ寝ている隣のテントを蹴飛ばそうとした (彼のことを温厚だと思っている人は思い直した方がいい) ので、 あわてて止めた。

 夜中に小屋の横の空地から、 夜の闇よりも黒くそびえ立つジャンダルムの荘厳な姿を見て感動した。 でも、 そのピークの真上にあるのが北斗七星だと気づくと、 頭にひしゃくをのせたジャンダルムがおちゃめに見えてきたりもして、 楽しいひとときだった。 星はひとりで見るものだと思う。

 あくる朝、 奥穂に登ってみると、 そのジャンダルムのピークにテントがひと張り張られているのが見えた。 ゆうべの光景を思い出して、 あんなところで寝るのはすてきだろうなあ、 とうっとりすると同時に、 前日に見た滝谷登攀の様子も思い出して、 身震いした。 “どこかに死体を隠していそうな”という形容を読んだことがあるが、 本当にそんな雰囲気の壁を数パーティーが登っていた。 そのクライマー達をふるい落とそうとするかのような落石の数々……。 ジャンダルムにしても似たようなものなんだろう。 ひとたび悪天になれば、 ピークのテントだってどれだけ強風にあおられ、 心細いことだろうか……。

 それでも、 せめて今度北鎌をやるときは奥穂からはジャンダルムを越えて西穂へつなぎたいなあと思った。