(記・辻 晃至) |
H8年3月20日〜23日 3月19日 はれ ・七倉で登山届をだすが、 事務所の人の話しでは昭和55年以来の積雪であり独標から槍まではナイフリッジになっているとのことであった。 又、 先行パーティもなくトレースも無いとのことであった。 ・湯俣川では登山靴をぬいで裸足になって川を渡る。 その後もP2の取り付きまでは幾度と無く歩渉がありソックスをぬらしてしまった仲間もいた。 ・P2への登りは思わぬ時間を食ってしまった。 特に上部の岩壁や雪壁はピッケルで木の根を引っ掛けたり草付を突き刺したりで冬の大峰山の滝の落口のようであり苦戦を強いられ倍近い時間をくってしまった。 ・P8付近のトラバースはかなり悪い感じであった。 ・独標への登りは霙まじりの雨が降っていたのでトラバースはあきらめ直上した。 (雪がぬれて重く危険だとおもった。) ザイルを出したので大変な時間をくってしまった。 ・槍への登りは雪壁をダブルアックス等で左上し右に回り込み、 ザイルを出して岩壁を登った。 頂上からの下りも雪 が氷化しておりアイスバイルは必要であった。 ・大喰岳西尾根からの下りは新穂高まで大変な雪崩が発生しておりデブリ越の連続で有り大変な消耗と時間のロスであった。 ○今回の山行で感じたことはソックス、 手袋、 オーバーミトン等は必ずかえがいると言う事と登山靴も2重靴で救われたと言う事であった。 雨の後の冬型の気圧配置は凍傷に成ると言う事。 オーバーミトンなしのぬれた手袋では鉄のピッケルによって熱が奪われ指が凍傷に成ると言う事。 又、 アイスバイル等がなければ登攀は困難であったろうとかんがえられる。 |