敗 者 復 活 戦

(北岳バットレス)

(記・白子 八千代

 三度目の正直となるか、 二度あることは三度・・・となるか、 判断に迷う気象情報の中でとりあえず出発した。

 一昨年の敗退があまりにも情けなくて悔しかったので、 その時のメンバーの一部である白子欽と小山君と私に新しく渡瀬君を加えた4人で、 今年の7月末に北岳バットレスに行ったのだが雷雨に見舞われ……。 というわけで今回は3回めになるのだった。

 またしても降る雨にもめげずバットレスの取付まで登り登攀具をデポした。 可能性がある限りできるだけの準備をするのが私たちの流儀なのだ。 といえば聞こえはいいが、 もちろん単にあきらめが悪いだけである。

 白根大池でテントを張って、 早めに寝る。

 三時起床。 4時半出発。 満天の星空の中をデポ地点へ向かう。 パッキングした後、 こんな重い荷物を担いで本当に登れるのかと不安になる。 はるばる和歌山から3回もやってくる執着心の強さのわりには荷物を担いで岩を登る練習は全くやっていない、 という考えの甘さに気がついたがもう遅い。

 ピラミッドフェースは、 雲ひとつない青空の下でほぼ乾いていた。 私たちはザイルの本数を減らすために2人ずつではなく4人1組になって登った。 平等にトップを交替しながらスムーズに進めるようにザイルワークの練習だけはしっかりやってきていた。

 快調に登り、 5ピッチめ終了地点から下を見ると、 9時を過ぎているのに取付付近にはまだ大勢人がいた。 自分たちの一昨年の失敗が頭をよぎる。

 6ピッチめはかぶった・級だが小山君はアブミなしでリードした。 渡瀬君もその経験の少なさからは信じられないスマートさでリードしていく。 ふたりの姿を見ながら 「これからはあいつらの時代やなあ……。」 と白子欽がひとり黄昏ていた。

 今回は前回より荷物が重いのに私のザックはなぜか背中に対して垂直に立ち、 そこへトップで登る時の緊張が重なった (前回はセカンドのみだった) のでしんどかったが、 その分だけ充実感は大きかった。

 とても混んでいて、 特に4尾根主稜ルートとの合流点からは1ピッチに1時間もかかるようになった。 待ち時間中、 白子欽は珍しく硬い表情でルート図を見ながら時間の計算をしていた。 リーダーは気の休まる時がないようだ。 小山君はうれしそうにハーケンを打っていた。 子どもみたいなヤツだ。 渡瀬君は常にザイルやカラビナのチェックをしていた。 あの神経の細かさは貴重だ……etc。 私は景色を眺めるのに飽きるとみんなを観察していた。 最も役に立たないタイプであることは自分でも認める。

 マッチ箱からコルへの懸垂で、 他の3人は懸垂の途中から振り子の要領でヒョーイとかなり距離のある向こう側の壁のバンドへ飛び移った。 あいにくそんな蛮勇を持ち合わせていない私はしとやかにコルに下り立ち、登り返した。

 それからアイゼンの爪跡が残る壁などを登り、 5時半頃無事登攀を終了した。 快適なルートだった。 大渋滞を知りつつあくまでもこのルートにこだわってよかったと思った。
 山頂には誰もいなくて、 バットレスを登ってきたことを誰かに感心されたい、 という私たちの極めて幼稚な願いは叶えられなかった。 しかし、 北岳は私たち4人だけに夕焼けに映える山々とその中に浮かぶ大きな黒い富士山のシルエットを見せてくれた。 再挑戦で初めて大岩壁を登りきってやっとたどり着いた山頂で染み込むようなオレンジ色の光に包まれたのだった。

 草すべりの分岐まで来たところでこれ以上暗くなることはないとひらきなおり、 ラーメンを作って食べた。 それから今回の装備の完璧さを証明する (?) ビールも。

 すっかりくつろいでザックにもたれて美しい星空を眺めていると、 みんなが 「このままここで寝よか」 などと言い出した。 タフなんだかロマンチストなんだか酔っぱらいなんだか知らないが…… 彼らが本気にならないうちにと私は勢いよく立ち上がった。

 疲労を回復した私たちの前で遠くにあるように見えていたテント場の小さな灯りはあっという間に大きくなった。

 白根大池から見えるバットレスに 蛍のような弱い光がいくつも灯っていた。 そういえば、 一昨年、 私たちが心もとないテラスの上で寒さに震えていた時も雨音にまじって遠くかすかにクライマー達の声が聞こえてきたっけ……。 暖かいシュラフにもぐり込める幸せと完登した喜びを再び実感した。

 あくる朝、 秋晴れの空の下、 アルパインクライミングの厳しさと楽しさの両方を教えてくれた北岳バットレスに長いお別れを告げて山を下りた。