名 草 山
 


日 時 : 2013(H25)年5月28日(火)


記 録 : K谷

参加者 : 道屋(CL) ・ K谷 ・ I塚 ・Aさん  (計4名)


天 候 : 曇り

 

この度の名草山ハイキングは和歌山の紀三井寺に埋葬されている佐々木只三郎の墓を訪ねることにあった。

幸いにも道屋さんが事前にその所在を確かめておられたので 助かった。

事の発端は、鳥羽伏見の戦いで敗れ東高野街道を一路、紀州へ向かった幕府軍小笠原隊(この中に佐々木只三郎が含まれる)と西高野街道を大阪に向かった鷲尾隆聚軍(わしのおたかつぐ、高野山で挙兵した討幕軍)が沓掛(橋本市紀見峠にある)で遭遇し、戦い、旧幕府軍は敗北、ここで傷つき和歌山に逃げ帰る途中で落命した者の中に佐々木只三郎がいる。

佐々木只三郎は会津出身、見廻組の者で小太刀の名手。
近江屋で、坂本竜馬、中岡慎太郎を討ったと云われている人。

その墓が紀三井寺にあると、今回、同行頂いた秋宗さんから聞き、調べに行こうという事になった。

この話を先日、KRCで湯浅に行った時、JR車中で道屋さんに話したところ、関心をもたれ、金剛山ハイキングの時にこの話を持ち出され、名草山ハイキングが具体化した。

余談だが、坂本、中岡が近江屋で討たれたと聞き、最初に現場に駆け付けたのが土佐藩士田中光顕、後の宮内大臣、学習院院長。
高野山の文化財保護のため、霊宝館が建設されるときの発起人の一人。



ハイキングのスケジュールは以下の通り。

9時にJR和歌山駅東口で道屋さんと待ち合わせ

名草山に行く途中、ダイエイ前で飯塚さんと合流。

三葛に車を駐車、9時20分スタート、名草山へ。

途中、三葛塩船船出の地の碑を見学。

木食応其上人が橋本を拓いた折り、三葛の塩が船で橋本に運ばれ塩市が立ち、三葛の塩が上質の塩として取引され、その帰り便で川上木綿(伊都郡かつらぎ町)が三葛に運ばれた。

その後、かつらぎ町でも木綿の加工業が続き、また、三葛でも木綿の加工業が栄えた(秋宗さんの話)、との事。

一本松9時35分着、名草山山頂10時着。

小休憩の後、紀三井寺の佐々木只三郎の墓へ。

元々の墓石は掘り起こされ、会津に送られた。

今あるのはレプリカ。

幕末の激動の中に命を落とした佐々木も時代が時代であれば実直な幕臣として一生を過ごしたであろうに。哀れを感じる。

紀三井寺を見学後、車を駐車した場所へ1時着。

ここで道屋さんと別れ、飯塚さんの案内で片男波の海岸へ。

そこで昼食後、万葉館、を見、塩竈神社、妹背山、観海閣、東照宮、玉津島神社、和歌の浦天満宮を廻り、4時前に飯塚さんと別れ、橋本に5時半過ぎに到着。

道屋さん、飯塚さんに大変お世話になり有意義な一日でした。

以下に佐々木只三郎の墓の写真を添付。


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